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シモダトレカ
下田文化財

平安後期に造られた阿弥陀如来坐像で、国指定文化財に指定されている。像高86.5cm、寄木造または一木割矧造とされ、穏やかな表情や衣の表現に定朝様の影響が見られる。治承4年(1180年)に漂着したとの伝承も残り、伊豆の仏教文化を伝える貴重な作例である。

SBNK-001

SEATED AMIDA NYORAI STATUE

阿弥陀如来坐像

平安後期に造られた阿弥陀如来坐像で、国指定文化財に指定されている。像高86.5cm、寄木造または一木割矧造とされ、穏やかな表情や衣の表現に定朝様の影響が見られる。治承4年(1180年)に漂着したとの伝承も残り、伊豆の仏教文化を伝える貴重な作例である。

安政3年(1856年)7月、ハリスが米国総領事として下田に来航し、8月に玉泉寺は我国最初の米国領事館となった。通訳のヒュースケン、召使の中国人等とともに安政6年5月まで滞在し、江戸に出府して日米修好通商条約の交渉を進めた。境内には5基のアメリカ将兵の墓と、4基のロシア将兵の墓がある。

SBNK-002

GYOKUSENJI TEMPLE

玉泉寺

安政3年(1856年)7月、ハリスが米国総領事として下田に来航し、8月に玉泉寺は我国最初の米国領事館となった。通訳のヒュースケン、召使の中国人等とともに安政6年5月まで滞在し、江戸に出府して日米修好通商条約の交渉を進めた。境内には5基のアメリカ将兵の墓と、4基のロシア将兵の墓がある。

下田港の南約10kmの海上に位置する灯台。慶応2年(1866年)の改税約書により建設が定められ、英国人技師ブラントンの監督のもと明治2年に着工、翌3年に完成した。下田エビス崎の石材を用い、現役では日本最古の洋式灯台として知られる。

SBNK-003

MIKOMOTO ISLAND LIGHTHOUSE

神子元島灯台

下田港の南約10kmの海上に位置する灯台。慶応2年(1866年)の改税約書により建設が定められ、英国人技師ブラントンの監督のもと明治2年に着工、翌3年に完成した。下田エビス崎の石材を用い、現役では日本最古の洋式灯台として知られる。

ヒガンバナ科の熱帯植物。日本の北限は房総半島。田牛の自生地は南側の海から吹き上げられた白砂が急斜面をつくる景勝地にあり、その西側に300株ほど自生している。種子は2〜3cm、それを包む種皮が海綿状で軽く、椰子の実のように、海流にのり、ここに漂着したものと考えられている。

SBNK-004

HAMAOMOTO – TOJI BEACH

田牛ハマオモト自生地

ヒガンバナ科の熱帯植物。日本の北限は房総半島。田牛の自生地は南側の海から吹き上げられた白砂が急斜面をつくる景勝地にあり、その西側に300株ほど自生している。種子は2〜3cm、それを包む種皮が海綿状で軽く、椰子の実のように、海流にのり、ここに漂着したものと考えられている。

嘉永7年(1854年)3月、吉田松陰は弟子の金子重輔とともに下田へ来訪。蓮台寺の共同湯で村医者の村山行馬郎と知り合い、その好意で数日間寄寓した。昼夜を問わず海岸に出てペリー艦隊の様子を探り、密航決行に向けた準備を進めたと伝えられる。

SBNK-005

YOSHIDA SHOIN GUKISHO

吉田松陰寓寄処

嘉永7年(1854年)3月、吉田松陰は弟子の金子重輔とともに下田へ来訪。蓮台寺の共同湯で村医者の村山行馬郎と知り合い、その好意で数日間寄寓した。昼夜を問わず海岸に出てペリー艦隊の様子を探り、密航決行に向けた準備を進めたと伝えられる。

横川に伝来する鋳銅製の鰐口。表面には奉納先や願主、製作者が陰刻され、応永30年(1423年)に河津の鋳物師・定繁が十連寺へ奉納したことが判読できる。裏面には文明5年(1473年)の追銘があり、諏訪神社へ再奉納されたことがわかる。鋳造状態も良好で、室町期の鋳物文化を伝える貴重な資料である。

SBNK-006

TEMPLE GONG – YOKOKAWA

鰐口(横川)

横川に伝来する鋳銅製の鰐口。表面には奉納先や願主、製作者が陰刻され、応永30年(1423年)に河津の鋳物師・定繁が十連寺へ奉納したことが判読できる。裏面には文明5年(1473年)の追銘があり、諏訪神社へ再奉納されたことがわかる。鋳造状態も良好で、室町期の鋳物文化を伝える貴重な資料である。

柿崎の三島神社から弁天島周辺の限られた範囲には偽層が発達している。水流により地層が斜めに削られ、その上に新たな堆積が繰り返されて形成されたもので、浅海域での堆積環境を示す。斜めに交差する層理が特徴で、波や潮流の作用を受けた地層の成り立ちを伝える。

SBNK-007

CROSS BEDDING

偽層理

柿崎の三島神社から弁天島周辺の限られた範囲には偽層が発達している。水流により地層が斜めに削られ、その上に新たな堆積が繰り返されて形成されたもので、浅海域での堆積環境を示す。斜めに交差する層理が特徴で、波や潮流の作用を受けた地層の成り立ちを伝える。

爪木崎の柱状節理は約500万年前、安山岩溶岩の冷却により形成された。俵のような形から「俵磯」と呼ばれ、柱状の岩が規則的に並ぶ景観が特徴である。江戸時代には建材として切り出され、一辺約30cmの五角形の石は俵石と呼ばれ広く用いられた。

SBNK-008

COLUMNAR JOINTS - TSUMEKIZAKI

爪木崎の柱状節理

爪木崎の柱状節理は約500万年前、安山岩溶岩の冷却により形成された。俵のような形から「俵磯」と呼ばれ、柱状の岩が規則的に並ぶ景観が特徴である。江戸時代には建材として切り出され、一辺約30cmの五角形の石は俵石と呼ばれ広く用いられた。

元禄13年(1700年)に神社裏山から掘り出されたと伝わる鰐口。銘文には応永6年(1399年)、平良盛が下田村の若宮へ奉納した旨が刻まれている。若宮は若宮八幡宮を指し、「下田」の地名が確認できる初見資料としても貴重な存在である。

SBNK-009

TEMPLE GONG – SHIMODA HACHIMAN SHRINE

鰐口(下田八幡神社)

元禄13年(1700年)に神社裏山から掘り出されたと伝わる鰐口。銘文には応永6年(1399年)、平良盛が下田村の若宮へ奉納した旨が刻まれている。若宮は若宮八幡宮を指し、「下田」の地名が確認できる初見資料としても貴重な存在である。

「あおい科」の植物で、学名をHibiscus Hamabo Siebといい、 江戸時代末期長崎に来たシーボルトの命名である。黒潮によっ て南方から種が運ばれてこの地に漂着したものと思われ、 河口より3〜400mの河畔の両側に4〜500株が群生し、 7〜8月にかけて淡い黄色をした花を咲かせる。

SBNK-010

HAMABOU FOREST

はまぼう樹林

「あおい科」の植物で、学名をHibiscus Hamabo Siebといい、 江戸時代末期長崎に来たシーボルトの命名である。黒潮によっ て南方から種が運ばれてこの地に漂着したものと思われ、 河口より3〜400mの河畔の両側に4〜500株が群生し、 7〜8月にかけて淡い黄色をした花を咲かせる。

延徳3年(1491年)、堀越公方足利政知の死去後、伊豆は混乱に陥る。明応2年(1493年)に北条早雲が侵攻し、同7年(1498年)に西海岸から上陸して深根城を攻略した。この戦いで足利茶々丸は追い詰められたとされ、城西方には「御所の墓」と呼ばれる石塔が残る。

SBNK-011

FUKANE CASTLE RUINS

深根城址

延徳3年(1491年)、堀越公方足利政知の死去後、伊豆は混乱に陥る。明応2年(1493年)に北条早雲が侵攻し、同7年(1498年)に西海岸から上陸して深根城を攻略した。この戦いで足利茶々丸は追い詰められたとされ、城西方には「御所の墓」と呼ばれる石塔が残る。

元和2年(1616年)に須崎へ設置された遠見番所は、寛永13年(1636年)に大浦へ移され船改め番所となった。海の関所として江戸往来の船を検問し、出入船は3千艘に及んだとされる。この賑わいは下田湊に経済と文化の繁栄をもたらし、享保6年(1721年)の浦賀移転まで続いた。

SBNK-012

FORMER SITE OF SHIMODA MAGISTRATE'S POST

下田御番所跡

元和2年(1616年)に須崎へ設置された遠見番所は、寛永13年(1636年)に大浦へ移され船改め番所となった。海の関所として江戸往来の船を検問し、出入船は3千艘に及んだとされる。この賑わいは下田湊に経済と文化の繁栄をもたらし、享保6年(1721年)の浦賀移転まで続いた。

日米和親条約により下田が開港し下田条約が締結されたが、幕府は正式な貿易を認めず、薪や水・食料など欠乏品の供給のみを許可した。しかし曖昧な取り決めにより実質的な貿易が行われた。欠乏所は当初浦方御用所を拡張して設置され、安政東海地震後に同心町へ新設された。

SBNK-013

SITE OF KETSUBOJO (OLD PROVISION DEPOT)

欠乏所跡

日米和親条約により下田が開港し下田条約が締結されたが、幕府は正式な貿易を認めず、薪や水・食料など欠乏品の供給のみを許可した。しかし曖昧な取り決めにより実質的な貿易が行われた。欠乏所は当初浦方御用所を拡張して設置され、安政東海地震後に同心町へ新設された。

大浦山長楽寺は真言宗の寺院で、弘治元年(1555年)創建。安政元年(1854年)12月、日本全権筒井政憲・川路聖謨らとロシア使節プチャーチンとの間で日露和親条約が締結された。さらに安政2年(1855年)には、アメリカ使節アダムスらと日米和親条約批准書の交換が行われた。

SBNK-014

CHORAKUJI TEMPLE

長楽寺

大浦山長楽寺は真言宗の寺院で、弘治元年(1555年)創建。安政元年(1854年)12月、日本全権筒井政憲・川路聖謨らとロシア使節プチャーチンとの間で日露和親条約が締結された。さらに安政2年(1855年)には、アメリカ使節アダムスらと日米和親条約批准書の交換が行われた。

落合の高根白山神社に古くから伝えられている神事。行事は弓太郎(ユンダロウ)1名、役者2名、シャクトリ2名が中心となって行われる。複雑な儀式を経て射手である役者が、裏側に大きく「鬼」と書いた的を射る。見事に的を射通せばその年の災厄は退散し、五穀豊穣は疑いないといわれている。

SBNK-015

OBISYA(DEMON SLAYING)

鬼射

落合の高根白山神社に古くから伝えられている神事。行事は弓太郎(ユンダロウ)1名、役者2名、シャクトリ2名が中心となって行われる。複雑な儀式を経て射手である役者が、裏側に大きく「鬼」と書いた的を射る。見事に的を射通せばその年の災厄は退散し、五穀豊穣は疑いないといわれている。

報本寺で毎年8月11日に行われる伝統行事。もとは領主の霊を祀る行事に厄除けや五穀豊穣の祈願が加わり現在の形となった。長さ約7mの孟宗竹を若衆が禰宜の指揮で境内を9回引き回し、倒さず回りきれば豊作と無病息災がもたらされると伝えられている。

SBNK-016

SANZUI GONGEN SAIHATA MAWASHI

山随権現祭幡廻し

報本寺で毎年8月11日に行われる伝統行事。もとは領主の霊を祀る行事に厄除けや五穀豊穣の祈願が加わり現在の形となった。長さ約7mの孟宗竹を若衆が禰宜の指揮で境内を9回引き回し、倒さず回りきれば豊作と無病息災がもたらされると伝えられている。

像高114cmの金剛界大日如来坐像で、密教特有の智拳印を結ぶ。現在は廃寺となった蓮台寺の本尊であったと考えられている。桧材の寄木造で、表面には漆箔を施す。穏やかな丸顔と優美な姿に平安時代後期の様式を残す鎌倉時代初期の優れた仏像で、伊豆半島を代表する文化財の一つである。

SBNK-017

SEATED DAINICHI NYORAI STATUE

大日如来坐像

像高114cmの金剛界大日如来坐像で、密教特有の智拳印を結ぶ。現在は廃寺となった蓮台寺の本尊であったと考えられている。桧材の寄木造で、表面には漆箔を施す。穏やかな丸顔と優美な姿に平安時代後期の様式を残す鎌倉時代初期の優れた仏像で、伊豆半島を代表する文化財の一つである。

了仙寺は日蓮宗の寺院で、寛永12年(1635年)に創建された。嘉永7年(1854年)、下田開港に伴い米使接待の場となり、日本側全権とペリー提督との間で下田条約が締結された。条約により了仙寺と玉泉寺が米人休息所に指定されるなど、日米交流の歴史を今に伝える重要な文化財である。

SBNK-018

RYOSENJI TEMPLE

了仙寺

了仙寺は日蓮宗の寺院で、寛永12年(1635年)に創建された。嘉永7年(1854年)、下田開港に伴い米使接待の場となり、日本側全権とペリー提督との間で下田条約が締結された。条約により了仙寺と玉泉寺が米人休息所に指定されるなど、日米交流の歴史を今に伝える重要な文化財である。

アオギリ科に属する中国原産の植物。名前に「キリ」と付くが、一般的な桐とは異なる系統である。夏に薄緑色の目立たない花を咲かせ、秋にはえんどう豆のような実をつける。種子は梧桐子(ごどうし)と呼ばれ食用やコーヒー代用にもされた。境内北側に純林を形成し、分布の北限にあたる。

SBNK-019

AOGIRI – IKONAHIMENOMIKOTO SHRINE

伊古奈比咩命神社 アオギリ自生地

アオギリ科に属する中国原産の植物。名前に「キリ」と付くが、一般的な桐とは異なる系統である。夏に薄緑色の目立たない花を咲かせ、秋にはえんどう豆のような実をつける。種子は梧桐子(ごどうし)と呼ばれ食用やコーヒー代用にもされた。境内北側に純林を形成し、分布の北限にあたる。

伊豆半島以南に分布するマンサク科の常緑高木。葉には虫こぶができる特徴があり、果実には2本の突起をもつ。八幡神社境内の社殿脇に立ち、周囲のクスノキやナギ、イヌマキなどとともに豊かな社叢を形成している。樹高17m、推定樹齢約800年を誇る貴重な巨木である。

SBNK-020

HACHIMAN SHRINE ISUNOKI TREE

八幡神社のイスノキ

伊豆半島以南に分布するマンサク科の常緑高木。葉には虫こぶができる特徴があり、果実には2本の突起をもつ。八幡神社境内の社殿脇に立ち、周囲のクスノキやナギ、イヌマキなどとともに豊かな社叢を形成している。樹高17m、推定樹齢約800年を誇る貴重な巨木である。

オガタマノキはモクレン科の常緑高木で、西南日本の温暖な地域に自生する。報本寺のオガタマノキは樹高25m、幹周り4m、推定樹齢約300年を誇る巨木である。近年は枝折れが心配されたが樹勢を回復し、春には白く香り高い花を咲かせる。地域を代表する貴重な天然記念物である。

SBNK-021

OGATAMANOKI – HOUHONJI TEMPLE

報本寺 オガタマノキ

オガタマノキはモクレン科の常緑高木で、西南日本の温暖な地域に自生する。報本寺のオガタマノキは樹高25m、幹周り4m、推定樹齢約300年を誇る巨木である。近年は枝折れが心配されたが樹勢を回復し、春には白く香り高い花を咲かせる。地域を代表する貴重な天然記念物である。

上大沢に伝来する鋳銅製の鰐口。銘文の一部は判読が難しいものの、「応永28年(1421年)」や伊豆国に関係する地名を読み取ることができる。小型ながら保存状態は良く、中世伊豆における信仰や奉納の歴史を伝える貴重な資料であり、静岡県ゆかりの歴史を知る上でも重要な文化財である。

SBNK-022

TEMPLE GONG – KAMIOSAWA

鰐口(上大沢)

上大沢に伝来する鋳銅製の鰐口。銘文の一部は判読が難しいものの、「応永28年(1421年)」や伊豆国に関係する地名を読み取ることができる。小型ながら保存状態は良く、中世伊豆における信仰や奉納の歴史を伝える貴重な資料であり、静岡県ゆかりの歴史を知る上でも重要な文化財である。

ビャクシンはヒノキ科の常緑樹で、岩手県以南の太平洋沿岸に分布する。白浜神社境内には樹高15.5m、幹周り4mを超える古木があり、海風を受ける海食崖近くにも生育する強靭な樹木である。鱗片状の葉と針状の葉を併�せ持つ特徴があり、神社の歴史とともに育まれてきた貴重な樹林である。

SBNK-023

SHIRAHAMA SHRINE BYAKUSHIN GROVE

白浜神社のビャクシン樹林

ビャクシンはヒノキ科の常緑樹で、岩手県以南の太平洋沿岸に分布する。白浜神社境内には樹高15.5m、幹周り4mを超える古木があり、海風を受ける海食崖近くにも生育する強靭な樹木である。鱗片状の葉と針状の葉を併せ持つ特徴があり、神社の歴史とともに育まれてきた貴重な樹林である。

建武元年(1334年)に建立された宝篋印塔で、総高247cmの塔。もとは重福院北西の高台に建てられていたが�、後に現在の場所へ移されたと伝えられる。塔には施主の妙忍と、覚円や大壇那沙弥智道らの協力によって建立されたことを示す刻銘が残り、中世下田の歴史を伝える貴重な文化財である。

SBNK-024

KOCHI HOKYOINTO PAGODA

河内の宝篋印塔

建武元年(1334年)に建立された宝篋印塔で、総高247cmの塔。もとは重福院北西の高台に建てられていたが、後に現在の場所へ移されたと伝えられる。塔には施主の妙忍と、覚円や大壇那沙弥智道らの協力によって建立されたことを示す刻銘が残り、中世下田の歴史を伝える貴重な文化財である。

天正16年(1588年)、秀吉の小田原攻めに備え後北条氏が築いた水軍拠点。天守台と呼ばれる曲輪や空堀が良好に残る。天正18年3月、豊臣方の脇坂安治・長曽我部元親ら1万余の軍勢に攻められ、城将清水康英は約50日間籠城し抗戦した。

SBNK-025

SHIMODA CASTLE RUINS

下田城址

天正16年(1588年)、秀吉の小田原攻めに備え後北条氏が築いた水軍拠点。天守台と呼ばれる曲輪や空堀が良好に残る。天正18年3月、豊臣方の脇坂安治・長曽我部元親ら1万余の軍勢に攻められ、城将清水康英は約50日間籠城し抗戦した。

江戸時代初期、下田の町を大波�の被害から守るため、第二代下田奉行・今村伝四郎正長が私財を投じて武ガ浜波除けを築き、正保2年(1645年)に完成した。勒功碑は、その来歴と今村公の功績を後世に伝えるため、同年に下田の名主三名によって建立された記念碑である。

SBNK-026

BREAKWATER & IMAMURA MONUMENT

武ガ浜波除けと今村公勒功碑

江戸時代初期、下田の町を大波の被害から守るため、第二代下田奉行・今村伝四郎正長が私財を投じて武ガ浜波除けを築き、正保2年(1645年)に完成した。勒功碑は、その来歴と今村公の功績を後世に伝えるため、同年に下田の名主三名によって建立された記念碑である。

貞享5年(1688年)、佐土原藩の御用船が遠州灘で嵐に遭い、遭難を避けるため積荷の一部を海へ捨てた。その責任を負い、武士3名を含む乗組員16名が切腹した。最年少は15歳の少年七蔵であった。彼らは下田の大安寺に葬られ、その墓は責任を重んじた武士道精神を今に伝えている。

SBNK-027

TOMB OF 16 SATSUMA MARTYRS

薩摩十六烈士の墓

貞享5年(1688年)、佐土原藩の御用船が遠州灘で嵐に遭い、遭難を避けるため積荷の一部を海へ捨てた。その責任を負い、武士3名を含む乗組員16名が切腹した。最年少は15歳の少年七蔵であった。彼らは下田の大安寺に葬られ、その墓は責任を重んじた武士道精神を今に伝えている。

平安時代末の製鉄遺跡で、昭和54年以降の発掘により大量の鉄滓や炉壁片、鞴(ふいご)の羽口などが出土した。炉壁片から楕円形の箱型炉が推定され、伊東市宇佐美の寺中遺跡との関連も注目されている。山麓の緩斜面に位置し保存状態も良好で、伊豆を代表する製鉄遺跡である。

SBNK-028

KANAYAMA ANCIENT IRONWORKS SITE

金山古代製鉄遺跡

平安時代末の製鉄遺跡で、昭和54年以降の発掘により大量の鉄滓や炉壁片、鞴(ふいご)の羽口などが出土した。炉壁片から楕円形の箱型炉が推定され、伊東市宇佐美の寺中遺跡との関連も注目されている。山麓の緩斜面に位置し保存状態も良好で、伊豆を代表する製鉄遺跡である。

大公孫樹は中国原産のイチョウ科の落葉高木で、諏訪神社の御神木として親しまれている。雄木のため銀杏は実らず、幹には乳頭状根が発達し古木の風格を見せる。風害や落雷による被害もなく、現在も樹勢を保つ。樹高20m、根回り7m、推定樹齢約400年を誇る貴重な巨木である。

SBNK-029

GREAT GINKGO TREE

大公孫樹

大公孫樹は中国原産のイチョウ科の落葉高木で、諏訪神社の御神木として親しまれている。雄木のため銀杏は実らず、幹には乳頭状根が発達し古木の風格を見せる。風害や落雷による被害もなく、現在も樹勢を保つ。樹高20m、根回り7m、推定樹齢約400年を誇る貴重な巨木である。

枝垂桜はバラ科の落葉高木で、ウバヒガンの変種として知られる。枝が滝のように垂れ下がる優美な姿が特徴で、3月下旬には淡紅白色の可憐な花を咲かせる。樹高12m、根回り2.75m、推定樹齢約200年を誇り、春の訪れを告げる下田の貴重な古木として親しまれている。

SBNK-030

WEEPING CHERRY TREE

枝垂桜

枝垂桜はバラ科の落葉高木で、ウバヒガンの変種として知られる。枝が滝のように垂れ下がる優美な姿が特徴で、3月下旬には淡紅白色の可憐な花を咲かせる。樹高12m、根回り2.75m、推定樹齢約200年を誇り、春の訪れを告げる下田の貴重な古木として親しまれている。

須崎半島南端の爪木崎にある景勝地。イソギクが咲く高場や、冬に数十万株のスイセンが咲き誇る池之段で知られる。爪木崎灯台西側の俵磯海岸では、県指定天然記念物の柱状節理を間近に観察できる。海と大地が生み出した独特の景観は、多くの観光客を魅了する下田屈指の名所である。

SBNK-031

TAWARAISO COAST - TSUMEKIZAKI

爪木崎 俵磯海岸

須崎半島南端の爪木崎にある景勝地。イソギクが咲く高場や、冬に数十万株のスイセンが咲き誇る池之段で知られる。爪木崎灯台西側の俵磯海岸では、県指定天然記念物の柱状節理を間近に観察できる。海と大地が生み出した独特の景観は、多くの観光客を魅了する下田屈指の名所である。

田牛地区の南西に位置する景勝地。タライ岬の稜線は下田市と南伊豆町の境界となっている。波の浸食によって形成された複雑な海岸線が広がり、高台からは伊豆諸島を望む雄大な景観を楽しむことができる。自然がつくり出した美しい海岸風景は、下田を代表する絶景スポットの一つである。

SBNK-032

TARAI CAPE , KAMANOURA COAST

タライ岬 釜の浦海岸

田牛地区の南西に位置する景勝地。タライ岬の稜線は下田市と南伊豆町の境界となっている。波の浸食によって形成された複雑な海岸線が広がり、高台からは伊豆諸島を望む雄大な景観を楽しむことができる。自然がつくり出した美しい海岸風景は、下田を代表する絶景スポットの一つである。

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